聚楽第址:京都府京都市上京区多門町
聚楽第(じゅらくだい、じゅらくてい)は、1586年に豊臣秀吉によって築城された平城(政庁、居館)です。聚楽亭、聚楽城と呼ばれることもあります。桃山文化を代表する建築として有名です。
1585年に関白となった豊臣秀吉は、政庁と居館を兼ねて聚楽第を築き、ここで1588年に後陽成天皇の行幸を迎え、徳川家康などの有力大名に忠誠を誓わせて、豊臣政権による支配体制を確立しました。また、1591年には天正遣欧少年使節を謁見しています。
1591年に豊臣秀吉が関白職を豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)に譲ると秀次の居館になり、翌年には再び後陽成天皇の行幸を迎えています。しかし1595年、謀反を疑われた秀次が切腹すると、その居館である聚楽第は徹底的に破却されました。
本丸・北の丸・西の丸・南二の丸で構成された平城で、それぞれの周囲を内堀で囲み、西~南にかけて外堀を配しています。周囲には、大名屋敷が建てられています。
現在では、石垣(北の丸北堀)や堀が遺構として残っている他、本丸東堀跡・本丸西堀跡・南外堀跡(松林寺の境内)に石碑が建てられています。