神岡城:岐阜県飛騨市神岡町城ヶ丘
神岡城は、1564年に江馬時盛(飛騨の国人)によって築城された平山城です。東町城と呼ばれることもあります。
武田信玄と上杉謙信による争いが飛騨や越中にまで及ぶ中、飛騨から越中への進出拠点として信玄が江馬時盛に築かせた城で、山県昌景(武田氏重臣)の縄張りによると言われています。しかし、川中島の戦い(第五次)によって信玄が飛騨から撤退すると、高原諏訪城(江馬氏の本拠地)の支城となりました。
1576年に上杉謙信が飛騨討伐に乗り出すと上杉氏に帰順し、1582年の武田氏滅亡後には織田氏の傘下に入りましたが、本能寺の変の後に三木自綱(姉小路頼綱)らとの決戦(八日町の戦い)に敗北し、姉小路氏の支配下に入っています。
1585年の豊臣秀吉による富山の役(佐々成政の討伐)に伴って家臣の金森長近が飛騨の姉小路氏を討伐した際、神岡城も長近の支配下に入りました。
1615年、一国一城令に伴って廃城となりました。
飛騨と越中との国境近く、高原川が流れる盆地の丘陵に築かれた平山城です。金森氏の時代に改修され、石垣など近世城郭の特徴を備えるに至っています。
現在では、空堀・石垣・土塁などの遺構が残っている他、三井金属鉱業神岡鉱業所の創業100周年記念で建てられた模擬天守(資料館)と模擬城門があります。