金ヶ崎城址:福井県敦賀市泉
金ヶ崎城(かながさきじょう、かねがさきじょう)は、平安時代末期に平通盛によって築城されたと伝えられている山城です。金前城、鐘ヶ崎城、敦賀城、津留賀城と呼ばれることもあります。「金ヶ崎の退き口」の舞台として有名です。
源平合戦(治承・寿永の乱)の際、源義仲との戦いに備えて平通盛が築城した、と伝えられています。
1336年に恒良親王と尊良親王を奉じた新田義貞が入城すると、翌年には越前守護の斯波高経(足利尊氏の一門)ら兵糧攻めに遭い、義貞が脱出したものの救援できず、尊良親王や新田義顕(義貞の嫡男)らが自刃し、落城しました(金ヶ崎の戦い)。その後、足利氏の越前平定に伴って越前守護代の甲斐氏の居城となりました。
1459年、守護の斯波氏と守護代の甲斐氏との対立(長禄合戦)に際して斯波氏に攻められるも勝利し、これによって斯波氏が失脚すると朝倉氏の支配下に入りました。
1570年には織田信長の朝倉攻めに際して開城しましたが、浅井長政が離反し、朝倉氏との挟撃を恐れた信長は撤退しました(金ヶ崎の退き口)。この後まもなく廃城になったと考えられています。
敦賀湾を一望する金ヶ崎山に築かれた山城です。隣接する天筒山(てづつやま)には、支城である天筒山城が築かれています。
現在では登山道が整備されており、二の木戸・曲輪・堀切などの遺構が残っている他、石碑が建てられています。
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