加納城跡:岐阜県岐阜市西加納丸之内
加納城は、1602年に奥平信昌(徳川家康の女婿)によって築城された平城です。
同地付近では、1445年に土岐氏家臣の斎藤利永が川手城(土岐氏本拠)の備えとして沓井城(上加納城)を築いて本拠としていましたが、長井利政(後の斎藤道三)が稲葉山城に移転した1539年頃には廃城となっていました。
1601年に岐阜城が廃城になると、翌年にはその代わりとなる拠点として沓井城跡に加納城が築かれました。徳川家康が縄張を行ったとされ、本多忠勝が普請奉行を務めています。岐阜城の櫓や石垣を主な建材としており、中でも岐阜城の天守閣が二ノ丸御三階櫓に転用されたと伝えられています。また、川手城跡の土塁から採った土砂なども利用されました。
奥平信昌の後にも譜代大名の居城として、明治維新を迎えています。
東と南に荒田川を、北に清水川を置き、それらを外堀に利用しつつ西にも掘を配して、四囲を水堀で囲った平城です。枡形が外に突き出た凸字形の本丸は、初期徳川系城郭に特徴的なもので、「加納城型」とも呼ばれています。
現在では加納公園として整備されており、天守台・隅櫓・堀などの遺構が残っています。
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