岸和田城:大阪府岸和田市岸城町
岸和田城は、現在の岸和田市岸城町(きしきちょう)に位置する、築城年・築城者不明の平城です。岸ノ和田城、滕城、蟄亀利城、千亀利城と呼ばれることもあります。
この近辺には岸和田古城と呼ばれる山城が築かれており、16世紀初頭に廃城となった後、岸和田城として移築された、とされています。
1583年の賤ヶ岳の戦いに羽柴秀吉(豊臣秀吉)が勝利すると、紀州への押さえとして急遽再築され、豊臣氏家臣の中村一氏が城主を務めています。1584年、小牧・長久手の戦いで秀吉が出陣した隙を突いた根来衆・雑賀衆・粉河衆ら紀州勢に攻められましたが、籠城して守り抜きました(岸和田合戦)。1585年には秀吉が入城して紀州平定の拠点となり(秀吉の紀州攻め)、戦後には城主となった小出秀政によって本格的に再築されています。
江戸時代初期には城主が頻繁に代わったものの、1631年以降に岡部氏の居城となって、明治維新を迎えています。
大規模な堀を多重に巡らせた輪郭式の平城で、本丸の石垣に犬走り(石垣や土塁と堀との間に設けられた狭い空き地)が設けられているのが特徴です。1623年には、破却された伏見城から櫓が移築されています(二の丸伏見櫓)。
現在では本丸跡・二の丸跡・二の曲輪跡が千亀利公園として整備されており、堀や石垣などの遺構が残っている他、模擬の天守(展示室、展望台)・多門櫓・隅櫓・櫓門が建てられています。
都道府県の文化財