黒井城跡:兵庫県丹波市春日町黒井
黒井城は、建武年間(1334年~1338年)に赤松貞範によって築城された山城です。保月城、保築城と呼ばれることもあります。
赤松貞範は代官として荻野氏を任命しており、15世紀後半以降には荻野氏が城主となっていましたが、1554年に城主の荻野秋清が赤井直正(悪右衛門 秋清の甥)に暗殺され、黒井城は直正の居城となりました。
赤井直正は1570年には織田信長に服したものの、後に反織田氏勢力と通じ、1575年に黒井城は信長に丹波平定を命じられた明智光秀に包囲されましたが、2ヶ月以上に及ぶ籠城戦の末、波多野秀治(丹波国人)に裏切られた光秀は退却を余儀なくされました(第一次黒井城の戦い)。1577年には光秀が細川藤孝・忠興親子を増援として丹波平定を再開、直正の病死や秀治の籠もる八上城の落城などを経て、1579年に黒井城も落城し(第二次黒井城の戦い)、明智氏重臣の斎藤利三(春日局の父)の支配下に入りました。
1582年に光秀が山崎の戦いで敗れると羽柴氏家臣の堀尾吉晴の居城となりましたが、間もなく廃城とされました。
丹波平野を一望する猪ノ口山に築かれた山城で、尾根の各曲輪に加えて山麓付近に多くの出砦を配するなど、山全体を利用した堅固な城です。石垣は野面積みで造られています。
現在では登山道が整備されており、石垣・櫓台・空堀などの遺構が残っている他、本丸跡に石碑が建てられています。
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