桑名城跡:三重県桑名市吉之丸
桑名城は、1591年に豊臣氏家臣の一柳可遊(右近)によって築城された平城です。扇城、旭城と呼ばれることもあります。
この近辺には、1513年に伊藤実房が築いた城館(東城)がありました。その跡地に築かれ、1595年には氏家行広(氏家卜全の子)が城主となりましたが、関ヶ原の戦い(1600年)の戦後処理で行広が所領を取り上げられると本多忠勝の居城となり、改修を施され、城下町も整備されました。
1617年に本多氏が移封されて以降、親藩大名の居城として明治維新に至っています。
1868年の戊辰戦争では、京都所司代でもあった城主の松平定敬が鳥羽・伏見の戦いで敗れると、抗戦か降伏かで激論が交わされた末、新政府軍に降伏して無血開城、この際に辰巳櫓を焼失しました。
木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)が伊勢湾に注ぐ河口の近くに築かれた梯郭式の平城で、大規模な水堀を巡らせ、揖斐川と接する北西部には七里の渡し(東海道で唯一の海上路)の船着場を設けています。各所に51基もの櫓を配しており、中でも神戸城(かんべじょう)の天守を移築した三重櫓は神戸櫓と呼ばれています。城下町は東海道の宿場として栄えました。
現在では桑名城址九華公園として整備されており、石垣や堀などが遺構として残っている他、蟠龍櫓(内部は水門総合管理所)が復元され、本多忠勝の像が建てられています。
都道府県の文化財