厩橋城址:群馬県前橋市大手町1丁目
前橋城は、15世紀末頃に長野氏によって築城されたとされている平城です。厩橋城と呼ばれることもあります。関東七名城の1つに数えられています。
1551年に後北条氏の傘下に入るも、1560年に長尾景虎(上杉謙信)に攻め落とされ、さらに1563年には後北条・武田連合軍に攻め落とされています。1582年に武田氏が滅亡すると織田氏家臣の滝川一益が入城、しかし本能寺の変の後に神流川の戦いで北条氏直に敗北、さらに1590年の豊臣秀吉の小田原征伐に際して浅野長政に攻め落とされました。
関ヶ原の戦い以降、江戸時代中期まで酒井氏の居城となり、この時期に大改修を受けています。1749年以降には越前松平氏の居城となり、1767年には一旦放棄されたものの、天保年間(1830年~1843年)の利根川治水改修を受けて1863年から再築城され、1867年に再入城が行われました。
利根川と広瀬川を外堀に利用する輪郭式の平城で、現在の前橋市の基盤となりました。しかしその立地ゆえ、築城当初から江戸時代後期に至るまで利根川の氾濫・侵食に悩まされ続けました。
現在では本丸跡に県庁および旧庁舎が、二の丸跡に前橋市役所が、三の丸跡に前橋地方裁判所が建てられています。県庁の近辺には、石垣(車橋門跡など)や土塁などの遺構が残っています。