増山城跡:富山県砺波市増山一の丸
増山城は、築城年・築城者不明の山城です。和田城と呼ばれることもあります。越中三大山城の1つに数えられており、上杉謙信に「元来嶮難之地」と評されています。
南北朝時代には桃井直常の支配下にあったものの、後に幕府軍の攻撃で落城した、と考えられています。
戦国時代には、神保氏の支配下にあって有力な拠点となっていました。1562年に神保氏が上杉謙信に降伏すると神保氏の本拠地となりますが、家中の反上杉派が一向一揆と結んで抵抗したので、1576年には上杉謙信に攻められて落城しています。
1581年に織田氏に攻め落とされて佐々成政の支配下に入りますが、1585年に豊臣秀吉が佐々成政を破ると(富山の役)前田氏の所領となりました。
和田川右岸の丘陵に築かれた連郭式の山城で、和田川を外堀に利用しています。砺波平野の東部に位置しており、西方面に睨みを効かせています。土造りの城であり、空堀・竪堀・堀切・切岸を多用していることが特徴です。
現在では登山道が整備されており、堀切・切岸・井戸などの遺構が残っている他、登山口に冠木門(かぶきもん)が建てられています。桜の名所としても知られています。
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