松江城:島根県松江市殿町
松江城は、1607年に堀尾吉晴・忠氏親子によって築城された平山城です。千鳥城と呼ばれることもあります。現存12天守の1つとして知られています。
かつてここには鎌倉時代に末次氏(出雲源氏)によって築かれたとされる末次城があり、戦国時代には尼子氏の支配下にあったところ、1571年に毛利元就の攻撃で落城、元就の八男が末次元康を名乗って入城し、1591年に元康が移封された際に廃城となっていました。
1600年の関が原の戦いで功績を挙げて出雲を与えられた堀尾忠氏は、当初に居城とした月山富田城が手狭な山城であることから、これに代わる城の新築を幕府に申請し、1603年に許可を得て、末次城跡を候補地に定めました。忠氏は1604年に亡くなりますが、父の堀尾吉晴が引き継いで1607年に築城を開始、小瀬甫庵が縄張りを担当し、1611年に完成して本拠を移しました。
1633年に堀尾氏が断絶すると、翌年に京極忠高が城主となり、三の丸が追加されています。
1637年に京極氏の宗家が一時断絶し、翌年に松平直政が入城して雲州松平氏が成立、以後には雲州松平氏の城として明治維新に至っています。
宍道湖を南に望む亀田山に築かれた平山城で、本丸と二の丸を輪郭式に配し、その南北に三の丸と北の丸を連郭式に連ねています。本丸・二の丸・北の丸の外周には京橋川を利用した堀が巡らされ、大手虎口でのみ地続きになっています。天守台の石垣は、牛蒡積み(野面積みの一種で、長い石材を用いる堅固な手法)で造られています。
現在では、本丸跡と二の丸跡は松江城山公園として整備されており、三の丸には県庁が、北の丸には城山稲荷神社と松江護国神社が建てられています。松江城山公園には、本丸跡に天守閣が現存し、石垣や堀などが残っていて、本丸跡に一ノ門・南多聞(一部)が、二の丸跡に南櫓・中櫓・太鼓櫓(各々の塀を含む)・北惣門橋(二の丸下段から城外へ渡る橋)・御廊下橋(千鳥橋 二の丸と三の丸を繋ぐ橋)が復元されている他、二の丸跡には興雲閣(1903年に建造された迎賓館)や松江神社(1877年創建 歴代城主を祀る)があります。
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