伊予松山城:愛媛県松山市丸の内
伊予松山城は、1602年に加藤嘉明(賤ヶ岳七本槍の1人)によって築城された平山城です。金亀城(きんきじょう)、勝山城と呼ばれることもあります。現存12天守の1つとして知られています。
1600年の関ヶ原の戦いで功績を挙げてこの地を与えられた加藤嘉明によって築かれ、同時に城下町も整備されています。1603年には、嘉明がこの地を「松山」と命名し、本拠も移しました。1627年に嘉明が転封となり、代わって蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)が入城、1634年に蒲生氏が断絶すると、翌年に松平定行(定勝系久松松平氏)が城主となり、以後には松平氏の居城として明治維新を迎えています。
松山平野の中央付近、瀬戸内海までを一望する勝山を中心に築かれた、連郭式の平山城です。山上の本丸・山麓の二の丸・平野部の三の丸に分かれており、三の丸の周囲に堀を巡らせています。大天守・小天守・南隅櫓・北隅櫓で構成される連立式天守や、本丸と二の丸を繋ぐ「登り石垣」が、特徴となっています。築城の際には、東の丘陵付近にあった湯築城の資材が流用されたと言われています。
現在では城山公園として整備されており、ロープウェイやリフトも設けられています。天守閣など多くの建築物が現存し、堀・石垣・井戸などが遺構として残っていて、小天守や四脚御門などが復元されている他、二の丸跡には松山城二之丸史跡庭園(松山藩主邸のあった二の丸を再現した庭園)が、三の丸跡には愛媛県美術館があります。桜の名所としても知られています。
国の史跡、国の重要文化財