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備中松山城

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備中松山城:岡山県高梁市内山下
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松山城は、1240年に秋庭重信(備中有漢郷の地頭)によって現在の高梁市内山下(たかはしし うちさんげ)に築城された山城です。高梁城、備中松山城と呼ばれることもあります。現存12天守の1つとして知られている他、日本三大山城の1つにも数えられています。
1221年の承久の乱で功績を挙げて地頭に任じられた秋庭重信によって、まず大松山に築かれました。元弘年間(1331年~1334年)には、高橋宗康が小松山まで城を拡張し、地名を松山に改めています。
16世紀初頭になると上野氏が城主となっていましたが、1533年に庄氏に攻め落とされ、1561年には三村家親が小早川隆景(毛利元就の三男)の加勢の下に庄高資を追い出して城主となっています。
1570年、城主の三村元親(三村家親の子)が宇喜多直家を迎撃すべく出撃した隙に、直家と通じた庄高資・勝資親子によって占拠されたものの、翌年には高資を討った元親に奪還されています。しかし1574年に毛利氏が宇喜多氏と和睦すると、元親が織田氏に寝返り、三村氏と毛利氏・宇喜多氏との争い(備中兵乱)が勃発、翌年に松山城は小早川隆景に攻め落とされて毛利氏の支配下に入りました。
1600年の関が原の戦いが終わり、西軍総大将だった毛利輝元が転封されると、まず小堀正次が、次いで1604年に小堀政一(遠州 正次の長男)が城番となり、1617年には池田長幸(池田輝政の甥)が城主となりました。1641年に池田氏が断絶して以降、城主が目まぐるしく変わり、浅野長矩(内匠頭)が城を預かって大石良雄(内蔵助)が城番を務めることなどもあった末、1744年に板倉勝澄が入城し、以後には板倉氏の居城として明治維新に至っています。
1868年の戊辰戦争では、老中が藩主を務める備中松山藩は朝敵と見なされ、征討の勅命を受けて岡山藩などの軍勢が進軍すると、松山城は無血開城しました。
4峰からなる臥牛山に築かれた、連郭式の山城です。南側の小松山に本丸などの主郭がある他、大松山・天神丸山・前山にも曲輪が築かれ、特に大松山の曲輪群(大松山城とも呼ばれる)は中世城郭の特徴を多く留めています。江戸時代には、南麓に御根小屋(藩主御殿)や武家屋敷などが設けられ、ここで藩政が行われています。
現在では、天守閣・二重櫓・一部の土塀が現存し、石垣や土塁が遺構として残っている他、本丸南御門など多くの門・五の平櫓と六の平櫓・土塀などが復元されています。南麓の御根小屋跡は、高梁高等学校になっています。
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