武蔵松山城跡:埼玉県比企郡吉見町大字南吉見字城山
松山城は、1399年に上田友直によって本格的に築城されたとされている平山城です。平安時代~鎌倉時代の築城とする数々の説もあります。武州松山城・武蔵松山城と呼ばれることもあります。比企城館跡群の1つに指定されています。
戦国時代初期には、扇谷上杉氏傘下の城として、古河公方の足利氏や山内上杉氏に対抗する前線拠点となっていました。後北条氏の進出以降にはそれに対抗する拠点となり、1537年には撃退しています(松山城風流合戦)。1545年の扇谷上杉氏滅亡をきっかけに争奪が繰り返され、後北条氏支配下となったところを1561年に上杉謙信が奪取するも、1563年には北条氏康・武田信玄連合軍が勝利(生野山の戦い)して後北条氏支配下に戻りました。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐に際しては籠城して抵抗しましたが、前田利家・上杉景勝・真田昌幸・直江兼続らに包囲されて落城しました。後北条氏が滅亡すると徳川家康の支配下になり、1601年には廃城となりました。
低湿地帯に囲まれた丘陵に建てられた梯郭式の平山城で、市野川を天然の堀として利用しています。高低差を利用した複雑な縄張りや大規模な空堀・切り落としなどを特徴とする、難攻不落の堅城です。
現在では、空堀・土塁・虎口などの遺構が残っています。搦手跡には岩室観音堂があります。
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