三原城跡:広島県三原市館町1丁目
三原城は、1567年頃に小早川隆景(毛利元就の三男)によって築城された平城です。浮城、玉壺城と呼ばれることもあります。
小早川水軍の拠点となる砦として築かれ、この時点では三原要害と呼ばれていたと考えられています。
1580年~1582年に改修を施されて本格的城郭となり、小早川隆景の晩年の1596年にも改修を受けています。
1600年の関が原の戦いが終わり、西軍総大将だった毛利輝元が転封された後、福島正則が広島城に入城したのに伴い、三原城は福島正之(正則の養嗣子)の居城となりました。しかし1619年に正則が武家諸法度違反で改易され、代わって浅野長晟が広島藩主になると、浅野氏家老の浅野忠吉が城代となり、1621年には浅野忠長(忠吉の養子)が城主となりました。以後、三原浅野氏の居城として明治維新を迎えています。
瀬戸内海に注ぐ沼田川(ぬたがわ)の河口の小島や中洲を利用して築かれた、梯郭式の平城(海城)です。瀬戸内海を軍事・経済の両面で制する拠点であり、二の丸の船入櫓など、30基以上の櫓を備えています。1596年の改修時には、新高山城から運ばれた石垣が利用されました。鞆城から天守閣が移築された、との説もあります。
現在では、天守台・船入櫓・堀などが遺構として残っている他、各地の門跡に石碑が建てられています。
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