宮津城跡:京都府宮津市外側
宮津城(みやづじょう)は、1580年に細川藤孝(幽斎)によって築城された平城です。鶴賀城と呼ばれることもあります。
織田信長の命で丹後の一色氏を攻略していた長岡藤孝(細川藤孝/幽斎)は、明智光秀の協力を得て1580年に丹後を平定すると、まず八幡山城(一色氏の城)に拠ったものの、信長の命を受けて宮津城を築いて丹後統治の拠点としました。1582年、藤孝が田辺城に移って隠居すると、細川忠興(藤孝の長男)の居城となります。
1600年の関ヶ原の戦いに際して細川忠興が東軍に付くと、留守を預かった細川藤孝は宮津城を焼き払い、田辺城に籠城しました(田辺城の戦い)。戦後に京極高知の所領になった宮津城は再建され、京極氏の居城となって、たびたび改修を施されました。
1666年に京極氏が改易されて以降、譜代大名の居城として明治維新に至っています。
天橋立の近く、宮津港に注ぐ宮津川(現在の大手川)の河口に築かれた平城(海城)です。
現在では跡地は市街地となっており、堀に利用されていた大手川には石垣が遺構として残っています。また、礼譲館(藩校)跡は宮津小学校となっており、馬場先御門にあった太鼓門が移築されて正門に使用されている他、門の周辺に城壁が復元されています。