名島城址公園:福岡県福岡市東区箱崎6丁目
名島城(なじまじょう)は、16世紀半ばに立花鑑載(大友氏庶流)によって築城された平山城です。
立花氏の本拠である立花山城の出城として築かれたとされています。
豊臣秀吉による九州平定後、1587年に筑前などを与えられた小早川隆景は、秀吉の命を受け、水軍の本拠とすべく名島城に大改修を施して、ここを居城としました。1595年に隆景が隠居して小早川秀秋(隆景の養子)が城主となり、関ヶ原の戦い(1600年)の戦後処理で秀秋が転封されて黒田長政が入城しましたが、狭い立地から城下町の整備に不向きと見なされ、廃城となりました。
博多湾に突き出した丘陵を中心に築かれた連郭式の平山城(海城)で、西側の丘の本丸と東側の丘の二の丸・三の丸で構成されており、その周囲の大半に大規模な堀を巡らせて、大船の直接乗り入れを可能にしています。南の平野部には武家屋敷が置かれています。廃城後、資材が福岡城の築城に流用されました。
現在では周囲が埋め立てられ、本丸跡の一部は名島城址公園として整備されて、弁天曲輪跡には名島神社が建てられており、その他は市街地になっています。名島城址公園には、天守台や石垣などが遺構として残っています。
名島城の脇門
名島門:福岡県福岡市中央区城内
名島城の脇門は、かつて名島城で使われていた櫓門です。
櫓門とは、門の上に長屋状の建物を配した門のことです。
黒田長政が名島城から福岡城に移転する際、黒田二十四騎の1人である林直利に下げ渡されて、その屋敷の門として使われました。その後も移築を繰り返し、現在では舞鶴公園(福岡城本丸・二の丸・三の丸の跡地)に移築されています。
市区町村の文化財