能島城跡:愛媛県今治市宮窪町宮窪
能島城(のしまじょう)は、南北朝時代に村上義弘(能島村上水軍の祖とされる)によって築城されたと伝えられている水軍城です。
能島村上水軍の拠点として築かれました。
1571年、城主の村上武吉が毛利氏への対立姿勢を顕にすると、来島水軍と因島水軍を引き連れた小早川隆景によって翌年まで海上封鎖されています。その後、毛利氏の傘下に加わり、来島を占領するなどしていましたが、本能寺の変(1582年)の後に羽柴秀吉(豊臣秀吉)と毛利氏が和睦して来島の返還を要求してきたのを拒絶し、隆景に攻め落とされました。
1588年の海賊停止令を受けて、廃城となっています。
芸予諸島の1つ、大島・伯方島・鵜島に挟まれる能島に築かれた水軍城です。周囲に大小の島々が点在しており、荒神瀬戸・船折瀬戸・宮窪瀬戸などの海上交通の難所に守られています。南の鯛崎島には出城が設けられています。
現在では無人島ですが、大島の宮窪漁港からクルーズ船(宮窪瀬戸潮流体験)が運行されており、曲輪・礎石・岩礁ピット(桟橋などの柱を立てた跡)などが遺構として残っています。
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