小谷城跡:滋賀県長浜市湖北町伊部
小谷城(おだにじょう)は、16世紀初期に浅井亮政(浅井長政の祖父)によって築城された山城です。浅井氏の終焉地として、また長政の子である浅井三姉妹(茶々、初、江)の生誕地として有名です。日本五大山城の1つに数えられています。
築城当時には浅井氏と六角氏による勢力争いの舞台の1つになっており、1525年に六角定頼に攻め込まれた時には籠城して撃退しましたが、1538年には定頼と城外で戦って敗れています。
1570年に小谷城の近辺で行われた姉川の戦いでは、浅井・朝倉連合軍は織田・徳川連合軍に敗れたものの、小谷城はその堅牢さ故に攻撃を免れましたが、織田信長は付城を築いて木下秀吉(豊臣秀吉)を配しました。
1573年、山本山城(小谷城の支城)が羽柴秀吉(豊臣秀吉)の調略で陥落し、北国街道を遮断した織田信長に朝倉義景の援軍も足止めされて(義景は後に信長に攻められて滅亡)、孤立した小谷城は羽柴秀吉の攻撃で落城、浅井長政は自害しました。戦後には秀吉の所領となりますが、1575年に秀吉が琵琶湖に近い長浜城を築いて移転すると、廃城になりました。
北国街道を見下ろし琵琶湖までを一望する小谷山に築かれた梯郭式の大規模な山城で、頂上から南北に伸びる尾根に各曲輪を、谷に城主と家臣の居館を配しています。南北を分断する大堀切や築城時期の割に大規模な石垣が特徴です。小谷山の頂上には出城の大嶽城(おおずくじょう)があり、かつてここが本丸だったという説があります。建築物は落城後に解体されて、長浜城の建材に用いられました。
現在では登山道が整備されており、土塁・石垣・大堀切などの遺構が残っています。南麓には小谷寺(真言宗豊山派の寺院、浅井氏の祈願寺)があります。
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