岡山城:岡山県岡山市北区丸の内2丁目
岡山城は、正平年間(1346年~1369年)に上神高直(名和氏一族)によって築城されたと伝えられている平山城です。烏城、金烏城と呼ばれることもあります。
最初の築城時には石山に築かれており、石山城と呼ばれていました。
戦国時代後期になると金光氏の居城となっていましたが、1570年に城主の金光宗高が宇喜多直家に謀殺され、1573年には亀山城に代わる直家の居城となって城下町が整備されました。
1590年からは宇喜多秀家(宇喜多直家の次男)による大改修を施され、東の岡山に本丸が置かれて、1597年に完成すると岡山城と呼ばれるようになりました。
1600年の関が原の戦いで西軍の主力を務めた宇喜多秀家が八丈島へ配流され、宇喜多氏が改易されると、小早川秀秋が入城しましたが、1602年に秀秋が死亡して小早川氏が断絶、翌年以降には池田氏の居城となって明治維新に至っています。
岡山平野を流れる旭川の形成した三角州の丘陵に築かれた平山城で、東の岡山から西の石山へと梯郭式に曲輪を配しています。旭川の流れを変更するなどして、堀を多重に巡らせています。黒の下見板張りの天守閣が五角形の天守台に建てられているのが特徴です。宇喜多秀家の時代に織豊系近世城郭となり、小早川秀秋の時代に城下町が拡張されて、池田綱政の時代の1687年~1700年には旭川を挟んだ北の対岸に後楽園(日本三名園の1つ)が造営されています。城下町は、現在の岡山市の基盤となりました。
現在では、本丸跡は烏城公園として整備され、西の丸跡は旧内山下小学校(2001年閉校)などに、それ以外は市街地になっています。烏城公園には、月見櫓(元和~寛永年間建造)が現存し、石垣・堀・天守礎石(移設)などが遺構として残っている他、天守閣(博物館)・不明門・廊下門・六十一雁木上門が復元されています。西の丸跡には西手櫓が現存し、各地に石垣が遺構として残っています。
国の史跡、国の重要文化財(月見櫓)
岡山城西丸西手櫓
岡山城西丸西手櫓:岡山県岡山市北区丸の内
岡山城西丸西手櫓は、1603年頃に岡山城西の丸で建造された、二重二階の隅櫓です。
岡山城主の池田忠継に代わって備前監国の池田利隆(忠継の異母兄)が執政代行を務めていた時代に、西の丸の防備として建てられました。
岡山城西の丸跡は、現在では旧内山下小学校(2001年閉校)などになっています。
国の重要文化財