岡崎城:愛知県岡崎市康生町
岡崎城は、1530年頃に松平清康(徳川家康の祖父)によって現在の岡崎市康生町(こうせいちょう)に築城された平山城です。龍城、龍ヶ城と呼ばれることもあります。徳川家康の生誕地として有名です。
この近辺には室町時代中期に三河国守護代の西郷頼嗣が築いた平岩城(居館、明大寺城とも)および砦があり、15世紀後半には岡崎松平氏(後の大草松平氏)の居城となっていました。
安祥松平氏の松平清康は、1524年に岡崎松平氏を破って譲渡させた平岩城に本拠を移すと、1530年頃には西郷氏の砦を元にして岡崎城を築き、新たな本拠地としました。1542年には、竹千代(後の徳川家康)が生まれています。
1549年に城主の松平広忠(家康の父)が没すると今川氏の支配下に置かれましたが、1560年の桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると松平元康(後の徳川家康)の居城になりました。
1570年に徳川家康が浜松城に移ると松平信康(家康の長男)が城主になり、信康が謀反を疑われて自刃すると石川数正や本多重次などの重臣が城代となっています。
1590年に徳川家康が移封されて豊臣氏支配下となり、関東の家康を抑える拠点の1つとして、城主の田中吉政に大改修を施されました。
関ヶ原の戦い(1600年)の後で徳川氏の支配下に戻って以降、本多康重など譜代大名の居城として明治維新に至っています。
矢作川と乙川の合流地点にある龍頭山に築かれた梯郭式の平山城で、国内でも屈指の大規模な城です。戦国時代には珍しい石垣造りの堀(清海堀)を備えています。田中吉政~本多康重の時代には、近世城郭に変更されると共に城下町も整備されています。中でも東海道の経路が変更され、城下町の中心を通る複雑な経路「岡崎二十七曲り」が生まれました。
現在では本丸と二の丸の跡地が岡崎公園として整備されており、清海堀・天守礎石・曲輪などの遺構が残っている他、天守閣(展示室、展望台)・大手門・東隅櫓・土塀が復元されています。園内には三河武士のやかた家康館や東照公産湯の井戸などもあります。桜の名所としても有名です。
市区町村の文化財