大溝城跡:滋賀県高島市勝野
大溝城(おおみぞじょう)は、1578年に津田信澄(織田信澄 織田信長の甥、明智光秀の娘婿)によって築城された平城です。高島城、鴻溝城(こうこうじょう)、鴻湖城(こうこじょう)と呼ばれることもあります。
1578年に磯野員昌が出奔した際、その養嗣子である津田信澄に磯野氏の所領が与えられたことで、新庄城に代わる信澄の居城として築かれました。明智光秀が縄張りを担当したと言われています。しかし1582年に本能寺の変が勃発すると、光秀との共謀を疑われた信澄が織田信孝と丹羽長秀に襲撃されて死亡したことで、豊臣氏の支配下に入っています。
1587年には京極高次(浅井長政の甥)が城主となり、長政の次女である初を正室に迎えて、1595年に転封されるまでの時期を過ごしています。
1595年頃に解体され、1615年の一国一城令で廃城となりましたが、1619年に分部光信が大溝藩主になると三の丸跡に大溝陣屋が設けられました。
琵琶湖の内湖(乙女ケ池)を取り込んだ梯郭式の平城です。安土城・長浜城・坂本城と合わせて、琵琶湖の水運を押さえています。石垣は野面積みで造られています。解体後、資材は水口岡山城に利用されたと伝えられています。
現在では、天守台・石垣・堀などの遺構が残っている他、石碑が建てられています。