大洲城:愛媛県大洲市大洲
大洲城(おおずじょう)は、1331年に宇都宮豊房(伊予守護、伊予宇都宮氏の祖)によって築城されたと伝えられている平山城です。比志城、地蔵ヶ嶽城、大津城と呼ばれることもあります。
戦国時代後期には、毛利氏・大友氏・長宗我部氏らによる勢力争いの舞台の1つとなっていました。1567年に毛利氏が伊予に侵攻すると、翌年には籠城戦の末に吉川元春・小早川隆景らの毛利軍に敗れて開城、1573年頃に大野直之(宇都宮氏姻戚)が城主となるも河野氏に攻め落とされています。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)の中国平定が終わった1585年、伊予を与えられた小早川隆景の所領となり、湯築城の支城とされました。1587年に隆景が移封して戸田勝隆が入城、1594年に勝隆が没すると翌年に城主となった藤堂高虎に改修を施されています。1608年に藤堂高虎が移封になると翌年には脇坂安治が入城し、1617年に加藤貞泰が城主となって以降には加藤氏の居城として明治維新に至っています。
大洲盆地の西部、肱川と久米川の合流地点付近の地蔵ヶ岳に築かれた梯郭式の平山城です。北側から東側で肱川に面する一方、西側から南側にかけて堀を巡らせています。藤堂高虎~脇坂安治の時代の改修によって、天守閣(台所櫓や高欄櫓との連立式)や高石垣を備える近世城郭に変わっています。
現在では本丸と二の丸の一部などが城山公園として整備されており、台所櫓(1859年再建)・高欄櫓(1860年再建)・下台所(1692年以前に建造)が現存し、堀や石垣などが遺構として残っている他、天守閣が復元されています。二の丸跡の南側は市民会館になっており、その東には苧綿櫓(おわたやぐら 1843年再建)が現存しています。三の丸跡は市街地になっているものの、石垣などの遺構が残っており、三の丸南櫓公園(お殿様公園)には三の丸南隅櫓(1766年再建)が現存しています。
国の重要文化財、都道府県の文化財
大洲城三の丸南隅櫓
大洲城三の丸南隅櫓:愛媛県大洲市大洲字三ノ丸
大洲城三の丸南隅櫓は、大洲城三の丸の外堀の南隅に建てられていた櫓です。大洲城の櫓として現存する4基の内で最古のものです(建造年不明・1766年再建)。
袴腰型石落し・隠し狭間・太鼓壁といった特徴を持っています。
現在では、一帯は三の丸南櫓公園(お殿様公園)として整備されています。園内には、旧加藤家住宅主屋(大洲藩主・加藤泰秋の二男である加藤泰通によって1925年に建造)も現存しています。
国の重要文化財