佐和山城跡:滋賀県彦根市古沢町
佐和山城は、鎌倉時代に佐保時綱(佐々木定綱の子)によって築城されたとされている山城です。石田三成の居城として有名です。
13世紀半ば以降、佐々木氏から六角氏と京極氏が分かれて、それぞれ南近江と北近江を支配するようになると、境目の城として勢力争いの舞台となります。戦国時代になると、京極氏に代わって北近江の支配者となった浅井氏と六角氏との間で、争奪の対象となっていました。
戦国時代後期には浅井氏の支配下に入って、小谷城の支城とされました。しかし1570年の姉川の戦いで浅井長政が織田信長に敗れると、小谷城との連絡を失った佐和山城は降伏して落城し、織田氏家臣の丹羽長秀の居城となりました。
1582年に本能寺の変が勃発すると、山崎の戦いと清洲会議を経て豊臣氏の支配下に入り、1591年に石田三成の居城となって、大改修を施されました。
1600年の関ヶ原の戦いに際しては、決戦終了後に東軍の攻撃を受け、城内での裏切りなどもあって落城しました。新たに城主となった井伊直政が石田氏時代と決別すべく新たな城(後の彦根城)への移転を計画し、直政の後を継いだ井伊直継(直政の嫡男)が彦根城に移った1606年には廃城となって破却されました。
西に琵琶湖を一望する佐和山に築かれた連郭式の山城で、頂上の本丸から伸びる尾根沿いに各曲輪を配しています。交通の要衝に位置しており、築城から破却に至るまで一貫して重要拠点と見なされています。破却後には多くの資材が彦根城の築城に転用されており、彦根城の佐和口多聞櫓は佐和山城から移築されたものと言われています。
現在では登山道が整備されており、石垣・土塁・曲輪などが遺構として残っている他、看板が建てられています。北西麓には龍潭寺(石田三成の菩提寺)が、南麓には佐和山遊園(天守閣風建築物など)があります。
佐和山城の大手門
宗安寺:滋賀県彦根市本町2丁目
佐和山城大手門は、かつて佐和山城の大手門だったと伝えられている薬医門です。現在では宗安寺(浄土宗の寺院)に移築され、赤門と呼ばれて山門に利用されています。
薬医門とは、一般的な門(棟門)の基本構成(冠木と鏡柱)に控柱を加えて強度を増した、平屋の門です。
境内には、本堂(長浜城付属御殿の移築)や鐘楼(1656年建造)といった建築物もあります。