新宮城址:和歌山県新宮市新宮字丹鶴
新宮城(しんぐうじょう)は、17世紀初頭に浅野忠吉(浅野氏家臣)によって築城された平山城です。丹鶴城、沖見城と呼ばれることもあります。
平安時代末期にはここに丹鶴姫(鳥居禅尼 源行家の姉)が住んでおり、地名にその名を残しています。
戦国時代末期になると、この近辺に堀内氏善が堀内氏屋敷(堀内新宮城とも呼ばれる)を築いていましたが、1600年の関が原の戦いで東軍の桑山一晴(和歌山城代)に攻め落とされています。
堀内氏が改易され、1600年に浅野幸長が和歌山城に入城すると、その家臣の浅野忠吉によって丹鶴山で新宮城が築かれました。1615年には一国一城令を受けていったん廃城となりましたが、1618年には再築を開始しています。
1619年に浅野氏が転封されて徳川頼宣(徳川家康の十男)が紀州藩主に着任すると、付家老の水野氏が城主となって、1633年の再築完了後にも1667年まで改修を施され、水野氏の居城として明治維新に至っています。
熊野川の南岸に面する丹鶴山に築かれた、連郭式の平山城です。山上に本丸などを配し、西麓に城主居館のある二の丸や武家屋敷を置いて、熊野川に接する北麓の水ノ手には船着き場を設けています。江戸時代の城らしく、石垣は切込接や算木積みで造られています。
現在では丹鶴城公園として整備されており、天守台・石塁・虎口などが遺構として残っています。桜の名所としても知られています。
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