新府城跡:山梨県韮崎市中田町中條
新府城(しんぷじょう)は、1580年頃に武田勝頼によって築城された平山城です。韮崎城と呼ばれることもあります。
1575年に長篠の戦いで敗れた武田勝頼が領国の守りを増強する際、穴山信君(梅雪)が築城を献策した、と言われています。また、真田昌幸が普請奉行を務めた、という説もあります。
1581年には築城途中ながら本拠地の移転が完了しましたが、その翌年には織田信長・徳川家康らが甲斐に侵攻(武田征伐)、岩殿山城へ撤退する武田勝頼自らの放火によって未完のまま廃城となりました。同年の天正壬午の乱の際には、徳川勢が跡地に陣城を置き、若神子城を本陣とした北条氏直と対峙しました。
甲府盆地の西部、七里岩台地に築かれた連郭式の平山城で、西側で崖に面し、東側に塩川を置いています。武田氏の城造りの総決算として、丸馬出・三日月堀・枡形虎口などの工夫を凝らした大規模な土造りの城です。
現在では土塁や堀などの遺構が残っている他、本丸跡に新府藤武神社が建てられています。桃(新府桃源郷)の名所としても知られています。
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