白石城:宮城県白石市益岡町
白石城(しろいしじょう)は、鎌倉時代に白石氏によって築城されたとされている平山城です。益岡城、枡岡城と呼ばれることもあります。
豊臣秀吉による奥州仕置に伴い、まず蒲生氏郷の家臣の蒲生郷成、次に上杉景勝と領主が移り変わった後、1600年の会津征伐の際に伊達政宗によって攻め落とされて伊達氏の所領となり、1602年に政宗の側近の片倉景綱が居城として以降には片倉氏の居城となりました。
1868年の戊辰戦争では、この城で開かれた白石列藩会議が基となって奥羽越列藩同盟が結成されますが、仙台藩が降伏すると新政府軍に明け渡されました。
現在では益岡公園として整備されており、復元された三階櫓(天守閣)・大手の一ノ門と二ノ門・土塀を見られます。
市区町村の史跡
白石城の厩口門
延命寺:宮城県白石市不澄ケ池
※白石城の厩口門が移築された延命寺
延命寺は、13世紀に創建されたとされている真言宗智山派の寺院です。かつての白石城の厩口門が、現在の白石市不澄ケ池(すまずがいけ)に移築されて山門となっています。
厩口門は、白石城の北側出入口として建造されました。明治維新で白石城が廃城となって解体された際に移築され、この時に入母屋屋根が切妻屋根に変更されるなどの改修が施されています。
境内には、安珍地蔵尊(ころり地蔵尊)や、源義経の奥州下向の際に弁慶が剣を磨いたことで濁ったとされる不澄ヶ池があります。
白石城の東口門
当信寺:宮城県白石市本町
※白石城の東口門が移築された当信寺
当信寺は、1597年に青蓮社良益によって開山された浄土宗の寺院です。かつての白石城の東口門が、白石市本町(もとまち)に移築されて山門となっています。
東口門(二ノ丸大手二ノ門)は、白石城の東側出入口として建造され、明治維新で白石城が廃城となって解体された際に移築されています。
境内には、真田信繁(幸村)の児である阿梅姫(おうめひめ)と大八(後の片倉守信)の墓があります。
国の登録文化財