勝竜寺城公園:京都府長岡京市勝竜寺
勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)は、戦国時代初期に築城されたと推定されている平城です。勝竜寺城、小竜寺城と呼ばれることもあります。
15世紀後半には応仁の乱で戦場となった記録が残っており、戦国時代末期には三好氏家臣の所領となっていました。1567年には、松永久秀と三好三人衆との三好氏家臣同士の争いの舞台となっています。
1568年、上洛を果たした織田信長に攻撃されると、石成友通(三好三人衆の一人)が降伏して落城、織田氏家臣の細川藤孝(幽斎)の居城となりました。この時期に、細川忠興(藤孝の嫡男)とお玉(ガラシャ 明智光秀の娘)が結婚して新婚時代を過ごしたとされています。
1581年に細川藤孝が転封となり、1582年には本能寺の変に伴って明智光秀の拠点とされました。山崎の戦いで光秀が敗れると、いったん入城した光秀が羽柴方の追撃を受けて撤退、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が入城して、豊臣氏の支配下に入りました。
その後、石材が淀古城の改修に使用されるなどして荒廃し、1633年に永井直清によって修復されたものの、1649年に直清が転封されると廃城になりました。
小畑川の西岸に築かれた、梯郭式の平城です。1571年、細川藤孝の時代に改修を受けて、天守閣・石垣・瓦葺を備える近世城郭となりました。これは安土城の築城よりも早く、近世城郭としては最初期に挙げられます。
現在では本丸跡と沼田丸跡が勝竜寺城公園として整備されており、石垣・門の礎石・土塁が遺構として残っている他、堀や石垣が復元され、模擬の櫓(管理棟、展示室)・門・隅櫓・塀や細川忠興とガラシャの像が建てられています。近くの神足神社では、土塁と空堀が復元されています。