勝瑞城跡:徳島県板野郡藍住町勝瑞
勝瑞城(しょうずいじょう)は、築城年・築城者不明の平城です。阿波屋形、下屋形、勝瑞屋形、勝瑞城館と呼ばれることもあります。
承久の乱(1221年)で功績を挙げて阿波守護に任じられた小笠原長清によって守護所として築かれた、14世紀前半に細川氏によって築かれた、などの説があります。
1362年に四国を平定した細川頼之(阿波守護)が翌年に入城して以降、阿波守護細川氏の居城となりました。
1553年、細川氏家臣の三好実休(三好長慶の弟)が謀反を起こし、城主の細川氏之を殺害して阿波細川氏の実権を握ると、勝瑞城は阿波三好氏の居城となりました。
1578年、阿波三好氏の傀儡とされていた細川真之が一宮成相(一宮城主)と組んで、長宗我部氏の支援の下、三好長治(三好実休の長男)を自害に追い込みました。それを受けて勝瑞城に入った十河存保(真之の異父兄)は、反長宗我部を掲げて阿波三好氏の勢力の回復に努めましたが、1582年には長宗我部軍に勝瑞城を包囲され、降伏して開城しました(中富川の戦い)。戦後、勝瑞城は破却されました。
旧吉野川の南岸に築かれた、複郭式の大規模な平城(城館)です。北東端の曲輪は、詰城(中富川の戦いに際して急造されたと考えられている)になっています。細川氏の全盛期には、京都に連なる文化都市として、城下町も大いに繁栄しました。廃城後に石垣などの資材が徳島城に流用された、との伝承が残っています。
現在では、詰城跡が勝瑞城跡公園として整備されており、堀や土塁が遺構として残っている他、見性寺(三好氏の菩提寺)があります。居館跡には、枯山水庭園の遺構が残っています。
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