高槻城跡公園:大阪府高槻市城内町
高槻城は、15世紀末に入江氏(細川氏被官)によって現在の高槻市城内町(じょうないちょう)に築城されたと考えられている平城です。久米路山龍ヶ城、入江城と呼ばれることもあります。
1527年の桂川原の戦い(細川高国と細川晴元との決戦)の際、晴元方に攻め落とされた山崎城から城主の薬師寺国長が高槻城に逃げ込んだ、と記録されています。
1553年に三好長慶が芥川山城を居城とした頃には芥川山城の支城とされており、1568年に足利義昭を伴って摂津に侵攻した織田信長が芥川山城を陥落させた際に降伏して開城しました。その翌年には芥川山城の城主だった和田惟政(幕府御供衆)が城主となり、和田氏の本拠とされています。
1573年、和田惟長(和田惟政の嫡男)と家臣の高山飛騨守・右近親子との対立の結果、高山飛騨守が城主となりました。
1585年に高山右近が船上城に移ると豊臣秀吉の所領になり、1600年の関ヶ原の戦いが終わると徳川家康の所領となって、1614年~1615年の大坂の陣では徳川幕府方の補給拠点として使われました。その後、譜代大名が歴代城主を務め、1649年以降には永井氏の居城として明治維新に至っています。
淀川と芥川に挟まれる扇状地に築かれた平城で、連郭式に繋いだ本丸と二の丸を三の丸で輪郭式に囲み、内外に掘を配しています。枡形門の多用や障子堀などが特徴です。各時代に改修を施されており、和田氏の時代にはいち早く天守閣が設けられ、高山右近の時代には城下町に教会が建てられて、江戸時代初期には近世城郭に変わっています。
現在では、跡地は高槻城公園・しろあと歴史館・槻の木高等学校などになっており、各地に石垣の石が遺構として残っています。高槻城公園には高山右近の像・模擬天守台・歴史民俗資料館が、槻の木高等学校には石碑が建てられています。
都道府県の文化財