田丸城址:三重県度会郡玉城町田丸字城郭
田丸城は、南北朝時代に北畠親房によって築城されたとされている平山城です。
伊勢神宮を押さえる南朝方の軍事拠点として築かれましたが、1342年には足利尊氏に攻め落とされました。室町時代に入ると北畠氏が再建し、後に北畠顕晴が入城して田丸氏を名乗りました。
1569年に織田信長が次男の織田信雄を北畠具教の養子にしたことから、城主の田丸直昌が信雄に臣従し、1575年に信雄の居城となって、信長の伊勢支配の拠点として改修されました。1576年には、信雄の命で直昌が北畠氏一門・家臣をこの城に誘き寄せて殺害しています(三瀬の変)。
1580年に火災で一時焼失し、この際に織田信雄は松ヶ島城に移りました。
小牧・長久手の戦い(1584年)の後に蒲生氏郷の支配下に入り、1590年の豊臣秀吉による奥州仕置で氏郷が転封された際に田丸直昌も同行すると、稲葉道通や藤堂高虎などの所領となりました。
1619年には紀州藩の所領になり、紀州徳川氏家老の久野氏が城主となって、明治維新に至っています。
丘陵の頂上から中腹までを使って築かれた連郭式の平山城で、丘陵の周囲を水堀で囲み、堀切や枡形虎口などで登城経路を制限しています。織田信雄の時代に織豊系近世城郭へと変わり、その後も田丸直昌や稲葉道通によって改修を施されています。野面積みの石垣が特徴です。
現在では町役場および玉城中学校となっており、天守台や石垣などが遺構として残っています。桜や紅葉の名所としても知られています。
都道府県の文化財