丹後田辺城:京都府舞鶴市南田辺
田辺城は、1580年頃に細川藤孝(幽斎)によって築城された平城です。舞鶴城(ぶがくじょう)と呼ばれることもあります。
織田信長の命で丹後の一色氏を攻略していた長岡藤孝(細川藤孝/幽斎)は、明智光秀の協力を得て1580年に丹後を平定すると、まず八幡山城(一色氏の城)に拠り、次いで宮津城を築いて丹後統治の拠点とした後、八田館(一色氏の居館)の近辺に田辺城を築いて隠居の身となりました。
1600年の関ヶ原の戦いに際して細川忠興(細川藤孝の長男)が東軍に付くと、田辺城は西軍方の大軍に包囲され、50日ほどの籠城戦の末、細川藤孝を死なせまいとする朝廷の仲介で講和して開城しました(田辺城の戦い)。戦後、京極高知の所領となったものの、高知が宮津城を再建改修した際に破却されました。
京極高三(京極高知の三男)が初代田辺藩主となった1622年から再建が始まり、1668年以降には牧野氏の居城となって明治維新を迎えています。
伊佐津川と高野川が舞鶴湾に注ぐ河口付近に築かれた、輪郭式の平城です。東西を川に、南を湿地に、北を海に守られています。
現在では本丸跡と二の丸跡の一部が舞鶴公園となっており、天守台などが遺構として残っている他、二層櫓(彰古館)や井戸が復元され、模擬の隅櫓と櫓門(田辺城資料館)が建てられています。
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