田中城本丸跡:静岡県藤枝市田中1丁目
田中城は、1537年に一色信茂(今川氏家臣)によって築城された平城です。亀甲城、亀井城、徳之一色城と呼ばれることもあります。1616年にこの城で食べた鯛の天ぷらが徳川家康の死因になった、という説があります。
1570年、武田信玄に攻め落とされると武田氏の支配下に入り、馬場信春に改修されて、山県昌景の居城となりました。
1582年の織田信長・徳川家康らによる武田征伐では、徳川勢の攻撃を受けながらも耐え抜きましたが、武田勝頼の死後に穴山信君(梅雪)の説得を受けて開城し、徳川氏の支配下に入りました。江戸時代には主に譜代大名の居城となり、明治維新に至っています。
中央から同心円状に配される本丸・二の丸・三の丸・外曲輪をそれぞれ堀で囲んだ構成が特徴的な、日本で唯一の円郭式城郭です。丸馬出など、武田氏の城らしい特徴も備えています。
現在では、本丸跡と二の丸跡は西益津小学校になっています。近隣には三日月堀などの遺構が残っている他、大手二之門跡には大手二之橋を模した橋があります。三の丸跡は西益津中学校になっており、三之堀などの遺構が残っています。
田中城下屋敷
田中城下屋敷:静岡県藤枝市田中3丁目
田中城下屋敷は、江戸時代後期に田中城の城主の下屋敷として使われていた武家屋敷です。
現在では、田中城の現存建築物である本丸櫓(展示室、展望室)、茶室、仲間部屋および厩、長楽寺村郷蔵が移築されている他、庭園が復元されています。
市区町村の文化財