鳥羽城跡:三重県鳥羽市鳥羽3丁目
鳥羽城は、1594年に九鬼嘉隆(豊臣氏家臣)によって築城された平山城です。鳥羽の浮城、錦城、二色城と呼ばれることもあります。九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆の居城として知られています。
ここには中世に橘氏の居館があり、その跡地に九鬼氏の本拠として築かれました。
九鬼嘉隆は1597年には九鬼守隆(嘉隆の次男)に当主の座を譲っていたものの、1600年の関が原の戦いで西軍に付くと、東軍に付いた守隆の留守を襲って鳥羽城を奪取し、安濃津城の援軍要請を海上から封じて、その陥落に貢献しました(安濃津城の戦い)。しかし関が原での決戦で西軍が敗れると、鳥羽城の北東にある答志島へ逃亡、そこで自害しました。
1632年に九鬼守隆が没すると、その五男の久隆と三男の隆季による後継者争いが勃発、その責を問われて九鬼氏が1633年に転封されてからは城主が頻繁に変わり、1725年以降に稲垣氏の居城となって明治維新に至っています。
加茂川が伊勢湾(鳥羽湾)に注ぐ河口付近、海に突き出た城山に築かれた平山城(海城)で、四方を海・川・沼に囲まれています。海側に大手水門を設けており、水軍の運用に適しています。石垣は野面積みで積まれています。
現在では周囲が埋め立てられ、跡地の一部が城山公園として整備されており、天守台や石垣が遺構として残っています。本丸の南の曲輪跡には、旧鳥羽小学校校舎(1929年建造)があります。
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