砥石城跡:長野県上田市上野
戸石城(といしじょう)は、築城年・築城者不明の山城です。砥石城と呼ばれることもあります。
戦国時代後期まで真田氏の外城として使われていた、とされています。1541年に武田信虎・諏訪頼重・村上義清による侵攻(海野平の戦い)を受けて真田幸綱が上野に逃れると村上氏の支配下に入り、重要拠点と見なされて大改修を受けています。
1550年には武田晴信(信玄)に攻められましたが、固い守りに加えて巧みな救援要請もあり、武田軍に多大な損害を与えて勝利しました(砥石崩れ)。しかし、翌年には真田幸綱に攻め落とされて(調略によると考えられる)真田氏の支配下に戻り、この時期にも改修を施されています。
天正壬午の乱の戦後処理の際に起きた1585年の第一次上田合戦では、真田信繁(幸村)が籠城していました。関ヶ原の戦いに際して起きた第二次上田合戦でも信繁が守っていましたが、徳川秀忠の軍に加わっていた真田信幸(信之)の開城要求に応じ、戦わずして撤退しました。
上田盆地を南に一望する東太郎山の南東に伸びた尾根の突端に築かれた山城で、本城(居館)・その北の枡形城と南の砥石城・その南西の米山城の4つで構成されています。東西の崖・北の山・南の急斜面という天然の要害による堅固な守りが特徴です。
現在では登山道が整備されており、石積み・曲輪・切岸などの遺構が残っている他、登山道の入口に模擬門が建てられています。
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