鞆城跡:広島県福山市鞆町
鞆城(ともじょう)は、1553年頃に山田渡辺氏(地元豪族)によって築城された平山城です。
毛利元就の命を受け、尼子氏への抑えとして築かれて、この頃には鞆要害と呼ばれていました。1576年には、毛利氏を頼って鞆要害に入った足利義昭が鞆幕府(亡命政権)を樹立し、居館も構えています。
1600年の関が原の戦いが終わり、西軍総大将だった毛利輝元が転封されると、福島正則(広島城主)の下で城代の大崎長行(玄蕃 福島氏重臣)によって本格築城され、鞆城と呼ばれるようになりました。しかし徳川家康の勘気を蒙ったことから築城途上の1609年に工事を中断、1615年の一国一城令で廃城となりました。
瀬戸内海に臨む鞆の浦の丘陵に築かれた平山城です。福島正則の時代に天守閣を備えた総石垣の近世城郭として整備されつつありましたが、未完に終わっています。廃城後に天守閣が三原城に移築された、との説があります。
現在では、本丸跡は鞆の浦歴史民俗資料館や鞆城山公園などに、その他は市街地になっています。本丸跡には、本丸石垣の石が展示されている他、模擬石垣(発掘調査時に出土した石を使用)や宮城道雄の像などがあります。三の丸跡には、移築された石垣があります。
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