宇陀松山城跡:奈良県宇陀市大宇陀春日
松山城(まつやまじょう)は、秋山氏(大和国宇陀郡の国人)によって築城された山城です。秋山城、阿紀山城、神楽岡の城と呼ばれることもあります。
築城時期は不明なものの、秋山氏の本城として築かれ、少なくとも南北朝時代にはすでに存在していたと考えられています。この時期には秋山城と呼ばれていました。
1585年に豊臣秀長が郡山城に入城すると、秋山氏が放逐されて豊臣氏家臣の居城となり、大幅に改修されて、城下町も整備されています。
1600年の関ヶ原の戦いで西軍方に付いた城主の多賀秀種が戦後に改易されると、福島高晴(福島正則の弟)の居城となり、改修を施されて、松山城と改名されました。しかし、1615年の大坂夏の陣に際して豊臣方と内通したとして高晴が改易され、小堀政一(遠州)らによって破却されました。
古城山の山頂に築かれた山城です。豊臣氏時代の改修によって総石垣造り・天守閣・桝形虎口を備える織豊系近世城郭に変わっており、豊臣政権の大和支配を郡山城や高取城と共に担いました。
現在では、登山道が整備されている古城山に曲輪・空堀・石垣などが、西麓の春日神社に石垣が遺構として残っている他、さらに西には城下町の現存建築物である西口関門(福島高晴の時代の建築で、黒門とも呼ばれる 高麗門)があります。
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