浦戸城跡:高知県高知市浦戸
浦戸城(うらどじょう)は、天文年間(1532年~1554年)に本山茂宗(土佐の国人、土佐七雄の1氏)によって築城された平山城です。長宗我部氏の最後の本拠として知られています。
長宗我部氏や本山氏ら土佐七雄による勢力争いが大詰めを迎えつつあった1560年、本山氏の所領に侵攻してきた長宗我部国親(長宗我部元親の父)に海陸を封鎖されて、長宗我部氏の支配下に入りました。この頃までは、海からの侵攻に備えた山城でした。
1588年に本拠を大高坂城へ移した長宗我部元親は、水害の多さに悩まされ、1591年には浦戸城を平山城として本格築城し、本拠としました。
1600年の関ヶ原の戦いで西軍方に付いたことで長宗我部盛親(長宗我部元親の四男)が改易され、山内一豊が土佐を与えられた際、浦戸城の引き渡しに長宗我部氏旧臣が抵抗、50日の籠城の末に内部分裂によって落城しました(浦戸一揆)。翌年に一豊が入城したものの、手狭と見なされ、一豊が高知城(大高坂城跡で新たに築城)に移転した1603年に廃城となりました。
浦戸湾の入口付近で東に突き出た岬の先端、東西に伸びる台地全体に曲輪を配した平山城(海城)です。太平洋と浦戸湾に睨みを効かせる立地にあり、海上交通の便に優れています。北~東~南を海に守られる一方、陸続きの西側には3重の堀切を設けています。長宗我部氏の時代に本拠として本格築城されているものの、朝鮮出兵に備えた一時的な拠点に過ぎなかったという説もあります。廃城後には、資材が高知城の築城に流用されています。
現在では自動車道や登山道が整備され、本城跡の主な部分が国民宿舎 桂浜荘と坂本龍馬記念館に、天守台跡が山祇神社になっており、石垣や堀切が遺構として残っている他、一部の石垣が移築復元され、石碑が建てられています。本城以外は市街地などになっています。西の丘陵には長宗我部元親公墓が、その南麓には兵士の塚(浦戸一揆の犠牲者を弔う)があります。
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