宇和島城:愛媛県宇和島市丸之内1丁目
宇和島城は、941年に橘遠保(伊予警固使)によって築城されたとされている平山城です。鶴島城、板島丸串城と呼ばれることもあります。現存12天守の1つとして知られています。
築城時点では藤原純友の乱に際して築かれた砦だったとされています。ここに拠った橘遠保は、伊予に逃れた純友を捕縛しています。
西園寺氏の所領となっていた室町時代末期、豊後の大友氏が伊予侵攻を繰り返す中で、これに備えるべく砦跡で新たに本格築城され、板島丸串城と呼ばれるようになりました。この頃には大友氏や土佐一条氏によって度々攻撃されており、1560年には一時的に大友氏に服しています。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)の中国平定が終わった1585年に小早川隆景の所領となった後、隆景が移封となった1587年から戸田勝隆の所領になると、検地をきっかけに一揆が発生、板島丸串城は一揆勢に包囲されたものの、勝隆は鎮圧に成功しました。
1594年に戸田勝隆が没し、翌年に宇和郡が藤堂高虎の所領になると、高虎は板島を宇和島と改名し、1596年から板島丸串城の大改修を開始しました。高虎が1600年の関ヶ原の戦いで功績を挙げて国分城に移ってからは、藤堂良勝(高虎の従弟)が城代となっています。
1608年に城主となった富田信高が1613年に改易されると藤堂良勝が城代に返り咲き、翌年に伊達秀宗(伊達政宗の長男)が入城して宇和島伊達氏が成立、この頃から宇和島城と呼ばれるようになりました。以降、宇和島伊達氏の居城として明治維新を迎えています。
海と山に囲まれる城山を中心として築かれた梯郭式の平山城(海城)で、城山に本丸・二の丸・藤兵衛丸・長門丸などを、山麓に三の丸などを配しています。海と堀を繋いで、周囲を5角形に囲んでいるのが特徴です。藤堂高虎の時代に河後森城の天守閣が移築されて月見櫓になった、と伝えられている他、伊達宗利の時代に改修を施され、修理と称して天守閣が新築されています(1666年に完成)。
現在では、城山に天守閣・上り立ち門(1600年頃建造の薬医門)・山里倉庫(三の丸武器庫を藤兵衛丸に移築 城山郷土館)が現存し、石垣などが遺構として残っている他、藩老桑折氏武家長屋門(宇和島藩家老宅の門の一部)と穂積家長屋門(穂積陳重・八束兄弟で知られる穂積家の門)が移築されています。山麓から外側はほぼ埋め立てられており、市街地となっています。
国の史跡、国の重要文化財