若桜鬼ヶ城跡:鳥取県八頭郡若桜町若桜
若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)は、13世紀初頭に矢部暉種(因幡矢部氏の祖)によって築城された山城です。鬼ヶ城、若桜城と呼ばれることもあります。因幡三名城の1つに数えられています。
梶原景時一族追討で功績を挙げて因幡に入った矢部暉種が築城して以来、戦国時代末期に至るまで矢部氏の居城となっていました。
1575年に山中幸盛(鹿介)の謀略によって尼子氏残党の城となりましたが、吉川元春に攻められ、尼子氏残党は翌年には撤退しています。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)の率いる織田軍の中国攻めでは因幡における拠点とされ、1581年に鳥取城攻略が終わると秀吉の家臣の木下重堅が城主となっています。1600年の関が原の戦いで西軍方に付いた重堅が戦後に改易されると山崎家盛(池田恒興の娘の夫)の居城となりましたが、山崎家治(家盛の長男)が城主を務めていた1617年には若桜藩が廃されて鳥取藩の所領となり、一国一城令によって廃城とされました。
但馬と播磨に通じる街道を見下ろす鶴尾山(つるのおやま)に築かれた、連郭式の山城です。主要部は木下重堅~山崎氏の時代に近世城郭となっていますが、六角石垣など矢部氏時代のものと考えられる構築物も残っています。
現在では登山道が整備されており、天守台・六角石垣・廊下橋虎口・石垣(破城の跡を良く残している)などが遺構として残っています。桜や紅葉の名所としても知られています。
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