山吹城跡:島根県大田市大森町
山吹城は、大内弘家によって築城されたと伝えられている山城です。要害山城と呼ばれることもあります。
1309年に石見銀山が発見され、それを防衛する城として築かれた、との伝承が残っています。石見銀山を巡って大内氏・石見小笠原氏・尼子氏らが争う中、各時代に改修・拡張されて、戦国時代後期までは主に大内氏の支配下にありました。
1555年の厳島の戦い(大内氏の実権を握った陶晴賢と毛利元就との戦い)で毛利氏が勝利して大内氏が衰退すると、翌年には城代の刺賀長信(石見小笠原氏縁戚)も毛利氏に臣従しましたが、1558年に尼子晴久によって包囲され、援軍の毛利軍も撃破されて(忍原崩れ)、長信が自害して落城しました。戦後、この戦いで功績を挙げた本城常光が城主となっています。
1559年には毛利軍に攻められるも本城常光が城を出て撃退(降露坂の戦い)しましたが、雲芸和議(尼子氏と毛利氏との和睦交渉)で尼子氏の石見不干渉を勝ち取った毛利氏が石見に侵攻して諸城を攻略していく中、1562年に常光が降伏して、毛利氏の支配下に入りました。
1600年の関が原の戦いが終わって石見銀山が幕府領になると、石見銀山検分役に任じられた大久保長安が入城しましたが、翌年には廃城となりました。17世紀前半に破却されたとされています。
石見銀山の西、銀山川の西岸に位置する要害山の山全体を利用して築かれた、階郭式の大規模な山城です。天然の要害に守られている上、畝状竪堀の多用や馬出といった戦闘用の工夫を凝らしています。
現在では登山道が整備されており、畝状竪堀・土塁・石垣などが遺構として残っています。
国の史跡、世界遺産