山崎城跡:京都府乙訓郡大山崎町字大山崎
山崎城(やまざきじょう)は、築城年・築城者不明の山城です。鳥取尾山城、天王山城、天王山宝寺城、宝寺城、山崎宝寺城、宝積寺城と呼ばれることもあります。山崎の戦いの舞台として有名です。
1338年に初めて史料に登場しており、応仁の乱の最中である1470年には山名是豊(山名宗全の次男)が陣を布いています。
1482年には細川政元が入城しており、政元が暗殺された後の細川氏内紛(永正の錯乱)の際、1527年の桂川原の戦い(細川高国と細川晴元との決戦)で晴元方に攻め落とされています。
1582年、本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀は、男山城と山崎城にいったん陣取りましたが、間もなく淀古城と勝竜寺城を改修してそちらに移った結果、羽柴方によって山崎城の麓付近に陣取られ、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れました(山崎の戦い)。戦後、秀吉の居城になると、信長の葬儀を延期してまで急速に改修を施されましたが、1583年に秀吉が本拠を大坂城に移すと廃城になりました。
宇治川・木津川・桂川の合流地点や西国街道を見下ろす天王山の頂上に主郭を構える山城です。豊臣秀吉の時代に改修されて織豊系近世城郭に変わっており、枡形虎口の前身と言える喰違い虎口を特徴としています。
現在では登山道が整備されており、石垣・土塁・天守台などが遺構として残っている他、中腹に展望台が建てられています。