吉田城址:愛知県豊橋市今橋町
吉田城は、1505年に今川氏家臣の牧野古白(三河牧野氏)によって築城されたとされている平城です。今橋城、豊橋城、吉祥郭、峯野城、歯雑城(おかさわじょう)と呼ばれることもあります。
今川氏親(北条早雲の甥、今川義元の父)と松平長親(徳川家康の高祖父)・戸田宗光との勢力争いの中、氏親の命によって築かれました。
牧野氏・松平氏・戸田氏による争奪戦が繰り広げられた末、戸田氏の居城となっていた1546年に今川義元によって攻め落とされ、今川氏の支配下に入りました。
1560年に桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、1565年には松平家康(徳川家康)に包囲されて開城し、城代となった酒井忠次の下で武田氏の侵攻に備えて改修されました。1572年には武田氏の攻撃を受けましたが、撃退しています。
1590年に徳川家康が関東に移封されて豊臣氏家臣の池田輝政(家康の娘婿)の居城となり、城下町も含めた改修を施されています。関ヶ原の戦い(1600年)で功績を挙げた輝政が翌年に姫路へ移封されると、以後には譜代大名の居城となって、明治維新に至っています。
豊川と朝倉川との合流地点の河岸段丘に築かれた大規模な平城で、天然の堀となっている2つの川に面して半輪郭式に構成されています。池田輝政の時代に近世城郭として整備され、石垣にはその時期の野面積みと後の打込接が混在しています。東三河統治の拠点であり、城下町も東海道の宿場町として繁栄しましたが、江戸時代以降の城郭は未完成に終わりました。
現在では豊橋公園として整備されており、石垣・土塁・空堀が遺構として残っている他、模擬櫓(鉄櫓)が建てられています。