要害山城跡:山梨県甲府市上積翠寺町
要害山城(ようがいさんじょう)は、1520年に武田信虎によって築城された山城です。要害城、積翠山城と呼ばれることもあります。武田信玄の生誕地として知られています。
武田氏の本拠地である躑躅ヶ崎館の詰城として築かれました。1521年に今川勢が甲斐に侵攻した際、この城に避難していた正室が信虎の嫡男(後の武田信玄)を出産しました。
1575年に長篠の戦いで敗れた武田勝頼は、翌年には改修を施して防備を強化しています。
1582年に武田氏が滅亡すると豊臣氏の支配下となり、改修を施されましたが、関ヶ原の戦いの後で徳川氏の所領となると廃城になりました。
甲府盆地の中央付近、三方を山に囲まれた相川の扇状地に位置する要害山(丸山)に築かれた山城で、武田氏の城で多用される枡形虎口など、戦闘用の城としての工夫を多く凝らしています。穴太積み(穴太衆が手がけた野面積み)の石垣が特徴です。
現在では登山道が整備されており、石垣・虎口・堀切などの遺構が残っている他、武田信玄公誕生の石碑が建てられています。麓には積翠寺があり、境内には信玄の産湯を汲んだとされる井戸の遺構が残っています。