道後公園:愛媛県松山市
湯築城(ゆづきじょう)は、建武年間(1334年~1338年)に河野通盛(伊予守護)によって築城されたと伝えられている平山城です。湯月城と呼ばれることもあります。
1336年の足利尊氏の挙兵(建武の乱)に応じたことで室町幕府成立後に伊予守護に任じられた河野通盛によって、河野氏の本拠として築かれました。1364年に細川頼之(河野通盛に代わる伊予守護)の支配下に入るものの、翌年には河野通堯(河野通盛の孫)に攻められ、1369年には河野氏の所領に戻っています。
1585年、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の命を受けた小早川隆景ら羽柴軍に攻められて、約1ヶ月の籠城の末に城主の河野通直が降伏、まず隆景の所領となり、隆景の転封に伴って福島正則が入城しましたが、間もなく正則が国分山城に移ると、廃城になりました。
松山平野の北東部、道後温泉の近くの丘陵を中心に築かれた、土造りの平山城です。築城当時には丘陵の頂部に築かれた山城で、16世紀前半の拡張によって2重の堀・土塁で丘陵を囲む平山城になったと考えられています。廃城となった後、湯築城の資材は、西の勝山で築城された松山城に流用されたと言われています。
現在では道後公園として整備されており、堀・土塁・庭園などが遺構として残っていて、武家屋敷(内部は展示室)と土塀や土塁が復元されています。園内には、石造湯釜(天平勝宝年間製造と伝わる)・湯築城資料館・外堀土塁展示室(土塁の内部構造を展示)・展望台などもあります。
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